寝たきりでも予防接種は受けられる?——インフルエンザ・肺炎球菌、家で打つという選択肢
八月の終わりの札幌は、朝の空気にもう秋のにおいがあります。訪問の車を降りたときに首すじがひやりとして、ああ今年もこの季節が来たな、と思います。九月に入るとご家族から少しずつ届きはじめるのが、こんなご質問です。「そろそろインフルエンザの予防接種の時期ですよね。うちの母、もう外に出られないんですが、どうしたらいいんでしょう」。
通院ができなくなったその年から、予防接種だけがぽっかり空白になっている。在宅で療養されているご家庭では、めずらしくないことです。今日は、通院が難しい方の予防接種について、制度のしくみと、どこに相談すればよいのかを整理してみます。
通院できなくなると、予防接種だけが宙に浮きます
外来に通えていたころは、秋になると診察のついでに「今日インフルエンザも打っていきますか」と声をかけてもらえました。血圧の薬をもらいに行けば、その場で済んでいたわけです。ところが在宅療養に切り替わると、その「ついで」がなくなります。
市からの案内は毎年届きます。けれども、そこに書かれているのは「実施医療機関で受けてください」という案内で、その医療機関まで出向けないことが、いまのご家庭の困りごとそのものなのです。タクシーを手配して、車いすを積んで、待合室で順番を待って——それを注射一本のために組み立てるのは、簡単なことではありません。そうして一年、また一年と過ぎていきます。
ご家族が忘れていたわけでも、後回しにしていたわけでもありません。制度の入口と、暮らしの現実のあいだに段差があるだけです。ここは、たいてい相談で越えられます。
高齢の方が対象になる定期接種には、どんなものがあるか
市区町村が費用の一部を負担して行う予防接種を、定期接種といいます。高齢の方が対象になるのは、おもに次の四つです。
- インフルエンザ……毎年1回。例年おおむね10月ごろに始まり、冬のあいだ実施されます
- 肺炎球菌……65歳になる年度に1回。制度としては一度きりの機会なので、その年を逃さないことが大切です
- 新型コロナ……秋から冬にかけて、定期接種として行われています
- 帯状疱疹……2025年度から高齢の方を対象とした定期接種の枠組みが始まりました。痛みの出方については高齢者の帯状疱疹の記事にまとめています
対象になる年齢、実施の期間、自己負担の額は、年度ごとに自治体が定めます。65歳以上の方が中心ですが、60代前半の方でも、心臓や腎臓、呼吸器の機能に重い障がいがある場合などは対象に含まれることがあります。また、生活保護を受けている世帯や、世帯全員が市民税非課税の方は自己負担が免除される扱いも設けられています。
金額や期間は年によって変わりますので、この記事では具体的な数字を書きません。今年度の詳しい内容は、札幌市のホームページか、お住まいの区の保健センターの案内でご確認ください。ちょうど今の時期は、秋からの案内が出そろう少し手前でもあります。
家で受けるという選択肢があります
結論から申し上げると、通院できない状態であることは、予防接種をあきらめる理由にはなりません。ご自宅や施設で接種を受けている方は実際にいらっしゃいます。ただし、どこでも同じようにできるというものでもないので、確かめておきたいことがいくつかあります。
- その医療機関が訪問して接種を行っているか(体制は医療機関ごとに違います)
- 定期接種の実施医療機関として市に登録されているか(助成の扱いに関わります)
- ワクチンの手配や保管の都合で、申し込みから接種まで日数が要ることがあります
- 接種そのものの費用とは別に、訪問の診療にかかる費用の扱いはどうなるか
相談の入口はどこでも構いません。いま診てもらっている在宅の主治医、訪問看護の看護師、担当のケアマネージャーの皆様——どなたに聞いていただいても、話は必要なところにつながります。「そもそも家で打てるものなんでしょうか」という段階のご質問でまったく問題ありません。
施設に入居されている方の場合は、その施設の協力医療機関がまとめて接種を行っていることが多いので、まずは施設の看護職員に確認してみてください。ご家族が個別に手配しなくても済むことがほとんどです。
その日に打てるかどうかは、体調で決まります
接種の日は、まず体温を測り、予診票に記入していただくところから始まります。熱があるとき、いつもと明らかに様子が違うときは見送ります。前の日から食事が入っていない、やけに眠っている時間が長い、そういったことがあれば遠慮なく教えてください。日を改めればよいだけの話で、待つことは失敗ではありません。
お薬の関係で気をつけたいこともあります。血液をさらさらにする薬を飲んでいる方は、接種のあとに針の跡を押さえる時間を長めにとります。抵抗力を抑える治療を受けている方の場合、ワクチンの種類によっては向かないものもありますので、どれをどう受けるかは診察のうえで判断することになります。
持ち物というほどのものはありませんが、市から届いた案内や予診票、保険証、お薬手帳を手元にまとめておいていただけると、その場のやりとりがずいぶん早くなります。ご本人がふだん使っている体温計も、そばに置いておいてください。
「もう年だから、今さら打っても」というお声について
ご家族から、あるいはご本人から、この言葉を聞くことがあります。私は、その気持ちを否定しません。決めるのはご本人とご家族で、私たちの役目は、判断の材料をきちんとお渡しすることだと思っています。
そのうえでお伝えしているのは、高齢の方にとって感染症は、熱が出て数日つらい、という話にとどまらないことがある、ということです。数日食べられなかっただけで足腰が弱り、元の暮らしに戻るまでに何倍もの時間がかかることがあります。入院になれば、環境が変わったことで一時的に混乱が強まる方もいます。予防接種は病気にかからないことを約束するものではありませんが、そうした流れが起こりにくくなる可能性を、いくらか高めておく手立てのひとつではあります。
一方で、療養が最終段階に近づいている方にとっては、接種そのものが負担になることもあります。何を大事にして過ごしたいのかから逆算したときに、打たないという選択が自然な場合もある。それも同じように尊重されるべき答えです。私たちは、どちらを選ばれても構わないという前提でお話を聞いています。
それから、ワクチンだけがすべてではありません。同居されているご家族が接種を受けておくこと、外から帰ったときの手洗い、食後の口腔ケア、部屋の乾燥を防ぐこと。地味ですが、こうした積み重ねのほうが効いてくる場面もあります。とくに飲み込みの力が落ちてきた方では、お口の清潔が肺炎の予防に直結します。詳しくは誤嚥性肺炎の記事にも書きました。
秋の入口の、小さな確認ごととして
八月の終わりから九月にかけては、冬の準備を始めるにはちょうどよい時期です。灯油の手配や、雪囲いの算段と一緒に、「今年の予防接種はどうするか」を一度だけ話題にしていただけたらと思います。決めるのはもう少し先でも構いません。相談の窓口だけ先に見つけておくと、十月に慌てずに済みます。
札幌市内を中心に訪問診療を行っている当院にも、「家でも予防接種はできますか」というお問い合わせをいただきます。対応できるかどうかは、ご本人の状態、時期、ワクチンの手配の都合などによって変わりますので、まずは診察のうえでご相談ください。助成の対象や自己負担の扱いについては、お住まいの区の案内とあわせて確認するのが確実です。冬に入る前に、できることを少しだけ整えておきましょう。
札幌インターナショナルクリニック 院長 吉峰 玲
インフル・コロナ・風邪の見分け方(高齢者編)——自宅でのチェックポイントと受診の目安
高齢者がむせやすくなったら誤嚥性肺炎に注意——在宅で気づきたいサインと予防のヒント
訪問診療でできること・できないこと——在宅医療の範囲をわかりやすく解説